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2018年02月15日

【報告】一級建築士と歩く〜明治維新から150年の”やまぐち”A


2月11日の講座「一級建築士と歩く〜明治維新から150年の”やまぐち”〜」
最後の見学地は、まだ整備中で休館している十朋亭です。(2018/2/11現在)

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初めに大路ロビーのスタッフが、十朋亭全般の説明をし、
その後、沼田先生が建物の説明。

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洗い出しの小さい石の間に埋められている石は、こちらで実際に使っていたものです。
柱の根本に使われている石も、もともとあったものを研磨したようすね。


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室内は、まだ畳が敷かれていませんが、掃除も終えて、見違えっていました。


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十朋亭の庭にある手水鉢の模様にも注目。


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一方、こちらは土間部分です。
見学者の方々は熱心に見学をされていました。

杉私塾の中は養生中とのことで、まだ見ることができませんでした。


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こちらは萬代家の母屋です。
見学者の多くは、萬代家の母屋についても興味をもってらっしゃいました。
今後、どうやって活用していくのか楽しみですね。

講座のレポートはこれで終了です。

最期にご協力いただきました 岡藤呉服店様、杉山畳店様に
厚く御礼申し上げます。

posted by 大路ロビー at 16:47 | 活動レポート

【報告】一級建築士と歩く〜明治維新から150年の”やまぐち”〜@

2月11日(日)一級建築士と歩く〜明治維新から150年の”やまぐち”〜と題して、
一級建築士の沼田登氏(AKI建築設計事務所)をお招きいたしました。
雪まじりの雨の中、20名の参加者の皆さんと町歩きを行いました。

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まずは大路ロビーで町家についての基本レクチャーを実施。
町家とは…店と住居が同じ建物です。
今回見学する大殿エリアのものは明治〜昭和初期に建設されたもの。

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まずは大路ロビーとその向かいの町家を見ながら、説明を始めます。
格子もいろいろな種類や間隔の違いがあるんですよ。


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2階は古い物は『厨子(つし)』、新しいものは2階部屋となっています。
a.p.rさんやナナイロネイロさんは、厨子ですね。


大殿エリアは平入ファサード(棟と並行の側面に入口をとる。⇔妻入ファサード)がほとんどです。

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大殿大路と竪小路が交差する角の店『嘉藤商店』さん。
雑貨文具とあしらわれた文字がレトロで素敵。
街角をデザインする漆喰壁と看板が魅力的です。(昭和6年)

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一行は岡藤呉服店に到着しました。
明治中期の建物と推測されます。
地域の人は江戸屋敷と呼んでいたそうです。
持ち主の片岡さんの名が片岡小路の由来になっています。
お店に入る前に、向かいの和菓子屋『菊寿堂福信』さんのワンポイントレクチャーも忘れません。

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岡藤呉服店の1階部分です。

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そして2階部分。
梁が立派です。
現在では、こんな梁にできるくらいの木材を見つけるには不可能かも。

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美しい格子窓。
格子の内側から外を見るのも乙なものです。
このような長さと配列を持つ講師を吹寄親子格子と呼びます。
部屋の使い方によって格子の形も異なるのだそうです。

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家は、竪小路に沿って平行に作られています。
なので土地に対して平行とは限らず、こんな風に板間が平行じゃない場合もあります。

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ご覧ください。
この美しい梁の組み方。
溜息をつくぐらいかっこいいです。

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釘隠しもお洒落です。
直線的な日本家屋に、アクセントのように丸みを帯びた鋳鉄の釘隠しが。

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次は、竪小路を上がって、杉山畳店に向かいます。
こちらは大正期の建物と推測されます。
壁に漆喰で作られた海鼠(なまこ)模様が素敵なのですが、
阿知須などで多いこの模様が内陸の大殿でも見れるのが興味深いと、解説されていました。

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店内は長くて細い。
地面からしんしんと冷えます。

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梁の柱が太いです。

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特別に家の中を縦断させて頂きました。
通り土間を抜けて到達した場所が…

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なんと大内氏館跡の西門のまん前でした。
このサプライズに参加者はおおいに湧きました。

さて、いよいよ十朋亭の見学に参りましょう。
報告Aへつづく

posted by 大路ロビー at 15:46 | 活動レポート

2018年02月08日

2月8日の十朋亭

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展示館の正面がだいぶすっきりとしてきました。

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入口を奥へ見渡すと、十朋亭が見えます。
奥側は『洗い出し』が施されています。


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大殿大路から十朋亭を見たこちらの写真だと洗い出しの様子がよくわかります。
洗い出しは向かって左側から奥にかけて。
一方、展示館脇(ものが置いてあるエリア)は、タイルが貼られています。

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竪小路にもどってみましょう。
展示館と角の嘉藤商店さんの間の様子です。
間仕切りに壁が設置されるのでしょう。


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一方、こちらは大殿大路から杉私塾の脇を通って、母屋の脇の道。
砂利がひかれています。
その前の映像と比較したらこんな感じ。

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とっても良い感じですね。

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その奥は、アスファルトで塗装されていました。
かなり広いですね。

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一方、杉私塾の裏側は、こんな感じです。
今から椿が植えられるのかな?

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母屋の裏手。
駐車場側から見た風景です。

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以前あった勝手口はなく、別の間取りになっていますね。
どういう風に母屋が活用されるのか、楽しみです。

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以前は小さな地震でも大きく揺れていたという母屋ですが、
かなり堅固に基礎をやり直していたので、もうびくともしないでしょう。

今週末2月11日10時〜12時は一級建築士と歩く 〜明治維新から150年の"やまぐち"〜の企画があります。
参加者の枠が数名残っていますので、気になっている方は、ご連絡くださいね。
posted by 大路ロビー at 12:52 | 十朋亭進捗状況

2018年02月07日

2月3日 高嶺城見学会に参加しました

去る2月3日、山口市が主催する山口ヒストリア観光記念「続日本100名城見学会」に参加してきました。
今年の4月6日(城の日)から続日本100名城のスタンプラリーが始まるそうです。それに向けて盛りあがってます!

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滋賀県立大学の中井均教授が、午前中の座学に引き続き、現地をガイドしてくださいました。
内容が非常に興味深く、参加者の方々も満足し楽しまれている様子でした。

山城は防ぎながら戦う城です。
1550年ごろ、武器は基本的には石だったそうです。
敵が郭(くるわ)から登ってくるのを、投石で防御していた。

郭とは、軍事的・政治的な意図を持って、削平・盛土された平面空間で、城の内外を土塁、石垣、堀などで区切った区域の名称です。
郭から郭は、するどく切り立った傾斜が作られ、次の郭の淵にむかって盛土がされました。
するどく切り立った傾斜は『切岸』と言い、垂直であればあるほど、敵が登ってきにくいそう。

防御に大切なのは、郭、土塁、堀切り(郭をV字に切る)、切岸で、もっとも大切なのは切岸なんだそうです。


山城見学のベストシーズンはなんと冬!
植物の生育があまりなく、ブッシュの少ない冬が断然おすすめですって。

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下草や雑木の伐採が、山城巡りでは大事だそうで、今回、この見学にあわせて文化財保護課が、伐採をされていたことを中井先生は褒めてらっしゃいました。
当時の様子をできる限り再現し、ブッシュなどを整備することで、散策者に有意義な体験がしてもらえるんですって。

以下、見どころをまとめてみました〜。

◆ 高嶺城跡の見所
これだけ大きく、石垣が残っている山城はそう、ない。非常に貴重である。

《 階段状に配置された曲輪群 》
*切岸が垂直であればあるほど良い。(登りにくいため)
*切岸の部分に立木はなく(あればそれを支えに登られるため)、城のある前には木をあしらい、城の存在を隠していた。
*築城の上にむしろを敷き、弓が降りかかるのを防いでいた。
*主郭に100人ほど人が入る高嶺城は、大きな山城だった。

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《 主郭の石垣⇒特に北側の2段の石垣(時期さか技法か) 》
*本丸とは言わず、主郭と言っていた。
*大内氏は瓦は葺かず、板張りだった。
*毛利氏の頃も2種類あった
@糸切(永禄・天正)
Aてっせん(関ケ原の合戦以降)・・・2種類の瓦

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*隅石が小さい(萩城は大きいのでそれと比較して)
*石垣を作るのに4m以上は、当時の技術では無理だった。
*山肌にぐり石を貼付けて、そこに石を積んでいく。
「ぐり持ってこい」と農民に言うが、ぐり石を探すのも結構苦労していたみたいだ。


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《 主郭南側の石垣⇒鏡石が用いられている 》
鏡石が大きいのは、毛利の特徴的なもの。豊臣大名以前で天正15年くらい。

《 石垣隅部の積み方⇒正方形の石材を用いて、直角になるように重ねて積む 》

《 崩れた石垣⇒破城(城割)の痕跡 》
  石垣の隅を崩す
自焼け没落…ふもとの城に多いが、自分で焼いてとんずらをすること。 
落城する際、焼けているとは限らない。むしろ燃えている場合の方が少ない。
 山城での戦闘行為は少なかった。
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《 主郭平坦面に残る礎石⇒山上の居館 》
*御殿の礎石 戦争もたくさんあっただろうから、大内氏はここに住んでいたのだろう

《 山城の特性 》
土の城:戦国時代(1550年くらいまで)
    天守閣がない、鏡石を等間隔に並べる
石の城:1550年以降…鏡石を角にピッタリと合わせて並べる。
最後に・・・
『城をなぜここに作ったのか?』と疑問がわいたのなら、主郭付近の一番眺めのよい場所から下を見てみるとよい。
 自分の領地を一望できるポイントに作る(自分が領主になった気持ちで眺めてみるのが大事)

高嶺城は、見るポイントさえ分かれば、とっても魅力的なお城なので、郭の散策をしながらぜひ訪れてみてくださいね。

今回記載した内容ですが、
中井均先生は『私の持論や見解も含まれており、他の見解と違う点があるかもしれない』とおっしゃっていました。
また私の理解不足で、誤った箇所があるかもしれません。
ご了承下さい。
posted by 大路ロビー at 00:00 | 日記

2018年02月01日

2月1日の十朋亭

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こんにちは。
毎週、報告をするのが楽しいくらい、刻々と完成に近づいている十朋亭です。

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外観は、ほぼ出来上がっていますね。
赤いコーンが立っている場所は、身障者用の駐車場になります。
その駐車場の向かって右側にあるくぼみは、奥行き50cmほどの『物入れ』だそうで
細かいところまで配慮されている作りですね。

道沿いに張り出した花壇には、タマリュウが植えられます。
タマリュウは背の低い多年草で、冬でも青々としています。
グランドカバーとしては最適だそう。

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正門から奥をのぞけば、十朋亭が見えます。
通路はまだコンクリートが打ちっぱなしの状態ですが

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十朋亭に近い方から『洗い出し』が行われていました。
(竪小路側からは出入り禁止。大殿大路側から入り、通路の手前から撮影)

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その十朋亭ですが、今日は清掃の方が入り、入念にクリーンアップが行われていました。
内装じたいは去年の早い段階で完成していましたが、障子で見えなかったので、本日初めて拝見。
板張りの上に畳が敷かれるのでしょうね。

杉私塾は、3週間ほど前から『養生中のため侵入禁止』とのことで、ずっとしまったままになっています。
それでは大殿大路の方から杉私塾方面へアプローチしてみましょう。

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入口の突き当り、左側が萬代家母屋になっています。
完成した竹垣と母屋の間には、通路を作っていました。
こちらも『洗い出し』で作られます。

今回の工事で発見された井戸も、きれいに整備されていました。

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深さ6、7メートルくらいあるでしょうか。


竹垣を突き当たって、左を見れば、萬代家母屋の待合の裏側と外壁の間に
重機がありました。

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ちょっとひいて撮るとこんな感じ。
生垣の終わるところには、外灯が備え付けられていました。

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その地点から鉄筋の蔵を見た風景。

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着々と一帯の整備がすすんでいますね。
萬代母屋じたいも、基礎の補強や白壁の塗り直しなどなど、きれいになっています。

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こちらもできあがりが楽しみですね。
以上、本日のレポートでした。
posted by 大路ロビー at 11:19 | 十朋亭進捗状況